蒼ざめた犬

齧ったフィクション(物語)の記録。……恐らくは。

 感想書くのメンドいな……というか、あんまりうまい具合に固まってくれないので、またも自分語りというか、そう、困ったときの自分語りです。

 というわけで今回は、自分がなぜ本格探偵小説を、というかミステリを読むのか、ということについてひとくさり語っていこうかと。まあ、こういうことを書いて自分の中の思いを具体的な形で表に出しちゃおうというわけです。

 ではなぜ読むか、それを一言で言ってしまえば、ヘンな言い方だがミステリが低予算で世界にひびを入れられるから、ということになる。まあ、そういうフィクションとしての役割を私が期待しているから、といっていいだろう。読み始めてた頃はそうでもなかったのだけど。最初はトリックのため、特に密室トリックを始めとした不可能犯罪のために読んでいた。ミステリというよりもはや不可能犯罪がほかのジャンルの小説より好きだったのだ。人間が織りなすドラマみたいなのにはあまり興味は持てなかった。なんだかそれは、こういうルートを経ればそういう人間を描いた何ものかだと機械的に認識してしまう感覚がして、嫌いではないにせよ、ことさら求めるものではなかったように思う。

 そういった、不可能犯罪を目的化していた自分に、探偵小説がトリックとその解明を越えて、自分の中の世界にまで槌を下ろして歪ませるような、そんな体験を味合わせる作品が現れる。まあ、例によって例のごとくの『虚無への供物』である。そして、そこを起点に私は『ドグラマグラ』や『サマーアポカリプス』、『匣の中の失楽』、『夏と冬の奏鳴曲』『カリブ諸島の手がかり』といった作品群に魅せられていく。なにげに中後期のクイーンの影響も大きい。『Yの悲劇』で別に私の世界は静止しなかったが、『十日間の不思議』『九尾の猫』『第八の日』などは私を大いに揺さぶってくれた。

 今現在はともかく、あまりSFやファンタジーにいかなかったのはそういった作品に触れて、ものすごく大掛かりな世界を作らなくても、世界を歪ませることができるというその事実にある種の感動を覚えたからだといっていい。

 それはまあ、あくまで例えで言うとだが、映画的な感覚というか、ものすごい予算で世界を作りこむ、みたいな感じじゃなくて、カメラを手にもって覗いてゆくと、だんだんと、その世界が歪んできてついにはヒビが入る瞬間を目撃してしまう、みたいな、そんな感じ。自分の見知っていたはずの世界にヒビを入れることができる、そんな瞬間に出会いたくて私は探偵小説を、ミステリを読んでいる。まあ、もちろんそれ以外も楽しんでいるのだが。相変わらずトリックは好きだし、突拍子もない世界も好きだ。

 さきほどは「虚無」によって、またそこからという風に書いたが、なんだかんだ言って、その根っこは自分のミステリ体験の原初である乱歩にあると思われる。乱歩作品のその語りを聞いているうちにいつの間にか異世界に踏み込んでいるような感覚というか、地続き的な幻想性がその大本にある。

 まあとにかく、そういったわけでごく簡単なセットというか、有り合わせのもので世界を歪ませ、ヒビを入れることができる、そんなふうな期待を探偵小説に、ミステリにしているのだ。あと、あくまで謎が解決するがゆえに、そうなるというのが大事というか、謎の解決が解放というか、引き金となることで、大きな枠が歪む、そんな物語を求めている。