蒼ざめた犬

齧ったフィクション(物語)の記録。……恐らくは。

言葉でどこまでもつながってゆける 笹井宏之『えーえんとくちから』

 詩や短歌、それは僕にとって何とも言えないジャンルだ。一応、学校の教科書のものを目にしたことはあるわけで、「君死にたもうことなかれ」とか、「白鳥は悲しからずや」とか、なんかそんな感じのが記憶にある。古文の万葉集とか、古今和歌集とかその辺は全然ダメで、いまだに何言ってるのか分からない。とりあえず愛の歌が多いんだっけ?

 学校経由のイメージはそんな惨状。とはいえ、好きな詩とかは一応あって、中原中也の「骨」とか「サーカス」、萩原朔太郎の「殺人事件」、「干からびた犯罪」。あと、施川ユウキ経由で宮沢賢治の「告別」とか。短歌はあんまりよく分かんない。そういえば中井英夫の『黒衣の短歌史』は積んでる……。

 まあなんというか、好きだなあ、みたいな詩が片手で数えるくらいあるだけで、系統だった詩歌の流れとかほとんど知らないし、まともに詩歌集を読み切ったことも無い。

 そういう人間が、とりあえずこの本に出会った。そういうわけなのだ。

 例によってツイッターである。ちくまのアカウントが発売するということで、タイトルが流れてきた。「えーえんとくちから」というなんだか一瞥してよくわからない言葉。永遠解く力? 永遠と口から? 著者は26歳で亡くなったらしい。夭逝。俗人なのでそういう言葉と人に興味を持つ。検索。そして、ブログを見て(まだ、ご両親が続けているようだ)そこにある詩「切れやすい糸でむすんでおきましょう いつかくるさようならのために」を見て、あ、買ってみたいなと思った。その言葉にもっと触れてみたくなった。そして日曜の朝から本屋にのりこみ、一直線にちくま文庫のコーナーに向かい、手に取った。

えーえんとくちからえーえんとくちから永遠解く力をください

 ああ、これはすごいものに触れてしまったな、そんな感じがした。この冒頭の歌が私をつかまえた。同時に私も彼の言葉をつかんだ。そんな感覚はなかなかない。とにかく、この歌に何か感じたのならこの本の歌たちに触れてほしい。これ以上、歌は引用はしない。本を開いて何首か見てほしい。

 彼の歌はまさに言葉に触れる、そんな感じなのだ。透明感があり、熱くも寒くもなく、どこまでものびやかで、すごく近くにいると思えば、いつのまにか遠くに連れ出されている。彼の言葉を介し、世界をゆったりとただようような感覚になってゆく。

 「私」と「世界」との交歓感覚。穂村弘は解説でその歌の特徴を魂の等価性と述べている。“私やあなたや樹や手紙や風や自転車やまくらや海の魂が等価だという感覚”それがおそらく、作者の歌にある透明感に繋がっている。また、作者はあとがきでこう述べている。

キーボードに手を置いているとき、ふっ、とどこか遠いところへ繋がったような感覚で、歌は生まれてゆきます。

(中略

風が吹く、太陽が翳る、そうした感じで作品はできあがってゆきます。

ときに長い沈黙もありますが、かならず風は吹き、雲はうごきます。

  流れに逆らうことなく、彼は言葉を待っている。そして、拾い上げられた言葉は、それにふれるものを作者と同じように、ふっ、とどこか遠い所へ繋げる。言葉で、ひとはどこまでも行ける。気負うことなく、当たり前のようにつれて行ってくれる。

 そして、私はその繋がったそれを放さないようにと怖れることなく、離すことができるのだ。その言葉が、私を、その繋がるすべてと等しくさせてくれているのだから。

 

えーえんとくちから (ちくま文庫 さ 49-1)

えーえんとくちから (ちくま文庫 さ 49-1)