蒼ざめた犬

齧ったフィクション(物語)の記録。……恐らくは。

「体験」を再現する装置としての映画 『ボヘミアン・ラプソディ』

 というわけで、新年初の映画はこれでした。おまけに恐らく人生初のIMAXで観た。ぶっちゃけ、同行者との時間の都合でIMAX字幕しかなく、えー、高い、みたいな感じで劇場に乗り込んでいったのですが、いや、観てよかったです。というか、これはIMAXで観るべき映画だ。

 まず映画が始まる前からアツい。20世紀フォックスのファンファーレがエレキで奏でられる。ここでもうビリビリと掴まれた。このファンファーレ、現クイーンのブライアン・メイロジャー・テイラーがこの映画のために録音したものだそう。そして、オープニングはベッドの上で目覚めるフレディ・マーキュリー。咳き込む姿に彼の生涯を少しでも知っているなら、それが重く胸に垂れ込めるだろう。彼はステージに向かう「ライブ・エイド」という、アフリカ難民救済のためのコンサート。そして、クイーンが語られるうえで伝説となったコンサートへ。スタッフによって幕が開かれ、満員の客が待つステージに上がるまでにかかる「Somebody of love」で既に何かこみあげてくる。一応言っとくと、私はそこまでクイーンのファンってわけじゃないです。ベスト盤をヘビロテしてた時期があった、というくらいでメンバーのこともフレディがエイズで亡くなったくらいしか知らない。

 それでも震えた。その音に感動した。それはまあ、IMAXの力ということかもしれないけど。

 映画はフレディのバンド生涯を追うように、その時その時の発表した楽曲を鳴らしながら、2時間30分のランニングタイムとはいえ、かなり一気に駆け抜けていきます。そういえば、観る前に時間もなげえな……と思っていたのですが、ほとんど気になりませんでしたね。それほどスピーディーに展開していきます。

 父親が望む強い男性像に反発しつつも、なれなかった自分として惹かれてゆく。そういったフレディの性的嗜好を軸にして「家族」への葛藤、反発、孤独、そしてバンドという「家族」へと回帰してゆくのが、この映画のドラマパートで、まあ、その辺は事実とどうこうというのはあるのでしょうが、映画の最低限の骨組みとしてそれはあるという感じでしょう。

 この映画の本質はその音と臨場感、そして、最後の最後にあるライブエイドのライブにあるといっていい。IMAXで観るそれは、圧倒的な体験として観る者に刻まれる。それはたぶん、当時の「体験」を体験することを目指している。当時の映像を、記憶を忠実に再現し、「体験」を体験する映画。多分これはそんな映画なんだ。

 過去との接近。これはたぶん、この十年くらいのインターネットの作り出した世界のカタチに沿っているのではないか。つまり、僕らは時代を超えて気軽に過去のコンテンツに触れられる時代にある。好きな時に、好きな時代の映像が、音楽が、そばにある時代。かつてないほど今と過去が漸近して、それはさらに進んでゆくだろう。

 そんな感覚の先として、VRが進化し、そこにいたことをよりリアルに「体験」することができる時代がきっと来る。ライブだけでなく、世界で起きているあらゆる出来事、デモや戦争をはじめ、歴史的な瞬間の数々を世界のあらゆる人々が「体験」し、まだ見ぬ未来の人々とそれを完全ではないかもしれないが「共有」する時代。そんな未来のとば口に立っているのかもしれない――なんて考えて、その始まりとして、こんな映画がジャンルとして増えてゆくのではないか、と映画の感動とは別な部分でもワクワクしたりしたのでした。

 最後は、映画の感想からは外れちゃったけど、もしまだ観てないならとにかくIMAXで観るんだ、実は言いたいことはそれだけだ!