蒼ざめた犬

齧ったフィクション(物語)の記録。……恐らくは。

根無し草の怪物 映画『ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ』

 黄色いМの文字――それだけで分かる店がある。

 マクドナルド。

 世界で初めてレストランを効率化し、30秒でハンバーガーを出すハンバーガーショップの代名詞。そしてフランチャイズ化することにより、アメリカはおろか、世界のあまねく地域でその黄金色のダブルブリッジを目にすることになる。一日に世界人口の実に1パーセントの人間がその提供する商品を口にする、超ド級ハンバーガー帝国。その幕開けとはいかなるものだったのか、そしてそのファウンダー――創業者とは何者だったのか。

 マクドナルド――それは人名だ。ということは創業者の名前であるはず。しかし、実は違う。この映画の主人公であり、マクドナルドの「創業者」の男の名前はレイ・クロックという。つまり、彼はその名を奪ったのだ。

 「マクドナルド」とは、彼が簒奪したまさにすべてといっていい。この映画は、けた外れの野心以外は何も持たなかった男がひたすら「成功」を求め、それを際限なく拡大することに執念を燃やす物語なのだ。

あらすじ

 1954年、レイ・クロックはシェイクミキサーを売り歩くセールスマンだった。中西部を車で駆け巡り、重たいシェイカーを手に飲食店の経営者へ得意のセールストークで売飛び込み営業をかける日々。食事はドライブインレストランでとるが、そこは大抵たちのよくない若者のたまり場で、時間はかかるし、注文を間違えるのもしょっちゅうだ。その日も注文を間違えられ、レイは不機嫌だった。セールスもなかなか上手く行かない。

 食事を終え、レイは自社の秘書に電話をかける。秘書からはなんと一軒のドライブインレストランからミキサーの注文が6台あったという報告が。あまりの大型注文に疑いを覚えるレイだが、そのレストラン――マクドナルド・ハンバーガーショップに電話を入れると、尋常ではない繁盛した様子と2台の追加で注文が8台になる始末。なにか電話の向こう側で大変な事態が起きているらしい。そう嗅ぎ取ったレイはすぐに現地に向かう。そこで目にしたものは、これまでにない画期的な効率化システムを取り入れた新しい飲食店だった。

 これはフランチャイズ化すべきだ、そう確信したレイは創業者のマクドナルド兄弟に迫る。なんとしてでもこれに乗りたい。しかし兄弟はあまり乗り気ではない。フランチャイズ化はすでにしている、しかし、大きくし過ぎることで管理が行き届かなくなり、質が落ちる。結果これ以上大きくならないし、もう大きくしたくもないのだと。

 しかし、レイは諦めず、その執拗な執念に根負けするようにして兄弟はレイにマクドナルドのフランチャイズ化を任せることにする。そしてその時、マクドナルドの「創業者」は生まれたのだ。

 店を金持ちの道楽的な投資ではなく、上昇志向を持つ夫婦を中心にして任せることにより、フランチャイズ化の拡大に成功し、さらなる拡大をもくろむレイ。だが、そのたびにマクドナルド兄弟と対立することになる。やがてレイは自らの枷となった兄弟を「マクドナルド」から追放することを画策してゆく。

 

感想

 マクドナルドの「創業者」――それはファストフードの基礎ともいえる調理工程の徹底した効率化とマニュアル化を考案したのでないばかりか、そのアイコンも作り出したわけでもなく、マクドナルドという名前すら自分のものではない。彼がしたことはただ一つ、それをひたすら広げたこと。そしてその原動力は成功への執着という、けた外れの野心。

 ほんと見事なまでに彼はマクドナルドがマクドナルドたる全てについて何一つ生み出してはいない。作中で確執の原因の一つになる粉末ミルクシェイクだって彼のアイディアではない。彼が語る成功哲学ですら、どこぞの誰かさんが吹き込んだ「ポジティブの力」というレコードの言葉の引用なのだ。彼自身の根っこは何もない。しかし、それでも彼はマクドナルドの全てを手に入れた。

 そもそも彼はその時点ですでにある程度の成功者なのだ。立派な家に住み、金持ちクラブでの交流も持っている。同じ年ごろの人間たちはゴルフに酒の悠々自適の生活で、52歳にしてもう一旗揚げようとする彼のその野心の原動力とは何なのか。

アメリカンドリーム――開拓の再演>

 セールスマンとして、売るものをとっかえひっかえし、彼自身は何かを生み出すことはない。だからこそ“成功”というものに固執するのか。いや、彼が固執しているものは実は“アメリカ”そのものなのだ。最後に彼がマクドナルドという名前を手に入れたがった理由についてこう言う――響きがとてもアメリカ的だ、と。クロックでは人は振り向かない。それはじめじめしたスラブ系の名前だからだ。マクドナルドというフランチャイズの本質がハンバーガーではなく不動産業であり、遅れてきたスラブ人の彼がかつて西へ向かって開拓したアメリカを、今度は東のカルフォルニアから西のニューヨークへと開拓してゆく。乗り遅れたアメリカンドリームの再演だ。彼が作中唯一といっていいほど成功を体感するシーンは新店舗の開店時、そこの土地の人々に感謝と共に歓迎されるシーンだ。そして糟糠の妻を捨て、出資者から略奪するように再婚する妻は明るいブロンド美人。

 アメリカであること。それが根無し草である彼の望みだ。しかし根っこがないことは現状に満足し、根を下ろすことがない。彼は際限なく彼の店をアメリカ中へ広げてゆく。アメリカになるために。アメリカが彼になるように。その貪欲ともいえる様は怪物的で、無慈悲にローカルな人々を飲み込んでゆく。かつての“開拓”がそうであったように。そして今日でもまた、マクドナルドは“アメリカ”を世界に広げている。

おわりに

 なんというかキャストが絶妙ですよね。なんといってもマイケル・キートン。その胡散臭く脂ぎった野心が、わざとらしいしぐさの端々に現れるレイ・クロックを好演しています。やりすぎな感も無きにしも非ず、しかし、怪物的な人物としてはちょうどいいくらいです。演出もくっきりしていて、特に電話の演出でマクドナルド兄弟とレイの関係性の優劣がやがて逆転していく様を分かりやすく示し、善良で頑固な兄弟が次第に怪物にのっとられていく過程は一種のサスペンスと言えるでしょう。

 映画のラスト、鏡に向かいマクドナルドの創業物語を練習しようとするレイ。それは冒頭のセールストークの構図と同じ我々に向かって語り掛けるように。しかし、どうにもうまくいきません。それもそのはず、彼にはその実体験はないのだから。巨大な帝国の「創業者」には肝心の根っこがない。それは私たち観客がよく分かっている。そしてラストショットの部屋を出ていく彼の後姿はピンボケしたようにぼんやりとしています。それが彼そのものなのか、その姿はどこか蜃気楼めいて、映画のラストを印象付けているのでした。