蒼ざめた犬

齧ったフィクション(物語)の記録。……恐らくは。

八木ナガハル『無限大の日々』

無限大の日々

 

 これはいいSF漫画。

 平行進化、群知能、ダイソン球、軌道エレベーター、確率、といったSFゴコロをくすぐるテーマで語られるSF短編集。どれもが魅力的なアイデアに満ちていて、それを語りつくす、というよりはさらりと皿にのせて読者に供して、それぞれの咀嚼に託すタイプの作品です。

 著者は半年ほどアニメーターの経験があるらしいのだが、少女をモチーフにしたキャラクターで占められるものの、絵柄は線の細くて均一な今風のカワイイ感じではなく、結構過去を感じる太く、粗目の線でまるっこく描かれる。松本零士宮崎駿諸星大二郎らに近い、といえば分かりやすいだろうか。個人的にはハードSFな諸星大二郎という印象を受けた。もちろん、印象でしかなく、八木ナガハルという初めて知った作家のさりげなく、しかし壮大で奥深い作品世界に大いに魅了されたのでした。

 この作品集の全体的なテーマというか通底するテーマは個と群、意識と無意識という感じでしょうか。小さなところから、やがてグーッとカメラが引いてゆくようにスケールが大きくなる感覚は、まさにSFというジャンルの醍醐味を十二分に味合わせてくれるでしょう。なにげに著者は宇宙の描き方が巧いというか、巨大なオブジェや空間を表現するのに長けてるように思います。特異な冒頭に釣り込まれて、だんだんと大きな場所に連れてゆかれる感覚、地上にいたはずなのに気がついたら宇宙から眺めている、そんな得難い体験を与えてくれる作品群です。

以下ではそれぞれを少し詳しく採り上げていきますね。

※ここからはネタバレ前提なので、興味のある人はすぐにでも買って読んじゃいましょう。

 

 

 

「SCF特異昆虫群」

 三つの星の頭文字をとった、同時進化した昆虫群。宇宙を隔て、同時に出現するそれらを天然の超高速の通信機と捉えるアイディアが秀逸。そしてそのネットワークに人間のデータを組み込み別の星で実体化させ、文明を再建しつつ帰還する1000年におよぶ壮大な計画。いきなりのスケール。そしてその端で大学生の、というかその時代の人間の知的に退化したような姿が描かれ、“彼女”がはるか遠くを臨む気分をそれとなく描き出しているのも素晴らしい。

「蟻の惑星」

 とある星で進化した蟻の生態が語られる。火を使う松明蟻、文字どおり農耕をするノウコウ蟻、レーザー蟻からミサイル蟻、そして原子力を扱う蟻たちというアイディアが次々と語られ、そして構造物を建築し、植物――農耕のために環境を制御するに至る。著者の昆虫愛が詰まった一編といえるのかもしれない。

「ツォルコフスキー・ハイウェイ」

 地球をらせん状に取り囲む巨大な道路、ツォルコフスキー・ハイウェイ。自動車に乗ったまま宇宙に行けるという触れ込みの軌道エレベーターの一種が300年をかけて完成した。ドキュメンタリー作家である鎹(かすがい)涼子は依頼を受け、完成したばかりのハイウェイのドキュメンタリーを撮りに来たのだが……。

 300年のうちに担当者が代替わりして誰も何の目的でハイウェイが造られたのか分からなくなっている。それはいったい何の目的で造られたのか? 知らないうちに文明そのものが異星人のツールと化していた、いや、異星人のツールのために文明があったというのはヴォネガットの『タイタンの妖女』を思わせる。

「ユニティ」

 この話が一番お気に入り。とある入院患者の少女が語る話、そして彼女を取り巻く状況。人間は本質的に空想することができない、ただあるものを右から左に引き写すだけである、という言葉と共にそれらが重なり合う瞬間がぞくっと来る。人間には不可能という認識であってもコンピューターはそれを飛び越えて独自の認識ができる、という末尾の話も面白い。

「幸運発生器」

 ドキュメンタリー作家鎹涼子が再登場する。機械が人類の上に立ち、人類は機械の奴隷として存在しているとある惑星では、偶然性物理学の成果と称する確率を操作する機械、幸運発生機によって、すべてが“幸運にも”成立している。そしてそれは物や現象にだけでなくそこに住む住人の在り方にも影響を及ぼす。すべてが幸運にも成立する場合、そこに自由意志とは存在するのだろうか? 確率が人間の意志を左右するのでは、という仮定が興味深い一編。

「病院惑星」

 製造から遥かな時間が経ち、メーカーがとっくに倒産して構造がブラックボックス化したロボットを患者とする病院。彼らを解析し、治療する過程でのデータを収益とする病院では、患者本人はサンプルとして収納され、治療された完全なる複製が退院していく。そんな倒錯が機械だけではないことが、自分を人間と思い込んでいる機械の導入で反転するというか、人間もまたそれらと変わらないことが明らかにされる。ちょっとしたホラーな一編だ。

「鞭打たれる星」

 これもまた鎹涼子が登場する一編。彼女が訪れた星では、住民たちが軌道エレベーターを引き倒そうとしていた。住民は生まれた時からオンライン化され、ある種のスクリプトを共有することにより、数億人が一斉に行動することができるというのだ。その彼らがいま軌道エレベーターを引き下ろそうと躍起になっている。完全剛体で出来た軌道エレベーターを引き渡した無限工作社の目的とは。「幸運発生機」と並び、人間を支配して一つの行動をとるようにする無限工作社なる存在が明らかになる一編。鎹シリーズの世界の広がりを構築する一編といえるかもしれない。

「巨大娘の眠り」

 砂漠をゆく兵士たちは、眠り続ける巨大な娘を見つける。しかし、一方で自分たちが何故砂漠を歩いているのか、なぜそこにいるのか分からなくなってゆく。そして彼らは眠り続ける娘たちを前にある疑いを抱く。八木ナガハル胡蝶の夢といった作品か。諸星大二郎的なテイストが濃いように感じた一編。目覚めゆく瞬間のカットと共に“夢”の表現が印象的な一編である。