蒼ざめた犬

齧ったフィクション(物語)の記録。……恐らくは。

レオーネという西部劇の思いで。

 マカロニ・ウエスタン、結構好きなんですよ。まあ、どのジャンルに対しても言えるんですが、マニア的な取り組みで臨んでいるわけではないので、半可通ではあるんですが、大学生のころに結構ハマって、観てたことがありました。

 最初に観たのは、あの三大レオーネの一人にして、筆頭のセルジオ・レオーネによる『荒野の用心棒』(原題:一握りのドルのために)という、正道にして異端な所から入っていったわけです。この作品については、『用心棒』のほとんどコピー*1ということは、よく知られたことではありますが、個人的にはあんまり気にせず、むしろ最後の決闘シーンは、別個のアイディアによって独自のカッコよさを作り出していて大好きです。

 そんなわけで、レオーネから入っていったわけですが、マカロニ・ウエスタンというものは、むしろレオーネ的なマカロニは少なくて、というかレオーネが場所を確保して、かれ自身は早々に違う場所へと歩み去ったその場所で、短い間咲き誇ったあだ花、それがマカロニ・ウエスタンだったように思います。その中の筆頭がセルジオ・コルブッチであり、ジャンルとしてのマカロニ・ウエスタンというものは、レオーネの『荒野の用心棒』と彼の『続・荒野の用心棒』を源流としてスタイルを獲得していった。なんていうか、平成ライダーでいう、クウガとアギトのような関係が、レオーネ(『荒野の用心棒』)とコルブッチ(『続・荒野の用心棒』)だったみたいな感じでしょうか(分かりにくいか)。……まあ、異論はあるでしょうが。

 とにかくそんなわけで、レオーネがマカロニのスタンダードだと思って入ってみたら、なんか違った、そんな感触だったのです。正道にして異端と言ったのはそういうわけです。マカロニファンという人たちも、レオーネの『続・夕陽のガンマン』以降はあまりいい評価してない感じで、長くて大げさ、みたいな反応を結構見かけました。作品時間は短く、予算は少なく、アクションは派手に。そういう、早い、安い、うまい、みたいな軽食堂的作品群がマカロニ・ウエスタンの真骨頂というわけであり、まあ、実際のところそうだったわけです。

 とはいえ、そういうマカロニの本道も好きな自分ですが、やはりレオーネの西部劇というのは、特別な思い入れがあるのです。そんなわけで、今回はレオーネ作品について短く思い入れを語ろうかと。(前回『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト』やりましたけどね……)

 

  とりあえず、この第一作。『荒野の用心棒』(原題は『一握りのドルのために』)。黒澤のパクリだぶーぶーというのは、散々聞かされて観たんですが、個人的には三回ぐらい寝てようやく履修した『用心棒』のおかげかなんなのか、かなり楽しく観れて、これによって、本場のアメリカの物を含めた西部劇というものに目覚めた思い出深い一作です。もうね、最後の決闘シーン、あのあんま意味のないダイナマイト(『用心棒』の霧の中から現れる再現なんだけど)による砂塵がゆっくりと、そして一気に流れ、中からイーストウッドが現れる場面のクソかっこよさ! マジね、何度見てもしびれますね。カット切るの早いんじゃないの、とは思うんですが、あの一瞬の残像みたいな切り方が、何度も観たくなる一因になっているのかも。レオーネと言えばのクロースアップは、この映画の場合イーストウッドの顔以上に、超ローアングルで撮られる足元のドアップ――インパクトありつつ、その構図のカッコよさがビリビリ来ます。

 『用心棒』のパクリだなんだとは言われますが、独自のアレンジ――キリスト教圏的なアレンジが興味深い所。ロバ(騾馬だけど)に乗って現れ、責め苦を受けて復活し、敵を倒して去っていく。まあ、いえばキリストのイメージが刻印されたこの映画は、文字通り、史劇ブーム*2が終わり、いったん翳った当時のイタリア映画界の救世主(ちょっと言いすぎか?)となったわけです。

 まあそれはともかく、マカロニの基本パターンの一つというか、基礎の基礎がこの映画であります。どこか陰のある寡黙な風来坊。どこにも属さず、正義のヒーローとは言い難い彼が現れた街には、悪党どもがはびこる。悪党たちと対立した彼は、一度は痛めつけられ、死の淵に追いやられるが、窮地を脱し“復活”を遂げて敵を討ち、街を去ってゆく。マカロニはだいたいこれです。上げて下げて上げる、超スーパー簡単な三幕構成。この単純な器に、あの手この手で娯楽を盛る。やがて飽きられるその日まで。十年にも満たないがそのものすごい情熱の数々が、ここから生まれていくのです。

 

  『荒野の用心棒』が世界的にヒットし、ヨーロッパ製西部劇がそのジャンルとしての産声を上げ、予算が大幅アップされたレオーネの二作目。原題は『もう一握りのドルのために』。まあ、『夕陽のガンマン』がカッコいいですよね。

 レオーネのストレートな娯楽性の頂点というか、マカロニ的な面白さが詰め込まれた作品で、マカロニファンはこれが一番好きという人が多いですね。マカロニ基礎パターンの一つ、賞金稼ぎ、そして復讐物のマスターピースですね。

 前作は二つの悪党一家が対立するなか、風来坊がその中をふらふらする『用心棒』プロットでしたが、今作は悪党一家の賞金首を巡って、二人の賞金稼ぎがライバルとして牽制し合い、実力を認めて共闘するストーリー。イーストウッドとともに、マカロニ・スターの一角となったリー・ヴァン・クリーフがカッコいい。実はこれ、彼が演じるモーティマー大佐のお話なんですよね。原題とは無関係ではありますが、ラスト大佐だけ夕陽を背負っているように見えるし、夕陽とともに去っていくのは大佐なのだ。

 

  はい、来ました最高の映画です。続とついてますが、『夕陽のガンマン』とは何も関係はないです(そうでもない部分もあるが)。原題は『善玉、悪玉、卑劣漢』という感じ。今回はマカロニの基礎パターンの一つ、隠された財宝を巡る争いです。主人公は原題にある通りの善玉(クリント・イーストウッド)悪玉(リー・ヴァン・クリーフ)卑劣漢(イーライ・ウォラック)の三人で、今回も看板はイーストウッドですが、実のところ主人公は“卑劣漢”のウォラック演じるトゥーコ――文字通り汚いおっさんです。イーストウッドも、最初の一人が二人になり、今度は三人となり自分の役どころが希薄になっていくことを感じ取っていたようで、今作を限りにレオーネと袂を分かつことになります。とはいえ、ウォラックと同程度に見せ場はあるし、ガンファイトはやはり彼。

 しかし、その冒頭で紹介される“卑劣漢”――トゥーコの登場シーンのインパクトは、かなりスゴイ。なにせ骨付きチキンを口に窓ぶち破ってくるんですよ? 漫画かよ。そして、喜怒哀楽の激しい彼とイーストウッド演じるブロンディの珍道中がこの『続・夕陽のガンマン』という映画なのです。墓に隠されたという財宝を巡り、無法者たちが南北戦争の中を駆けずり回る、痛快無比な一大エンターテインメント。あの『エル・トポ』とかにも影響を与えちゃったり、後世に与えた影響は大きなものがあります。特にタランティーノとか。

 確かに主にマカロニファンが言うように長いと言えば長い。私もトゥーコとブロンディが南軍の捕虜になるあたりで途中休憩し、お茶でも飲むか―と薬缶に火をかけたのですが、そのまま続きを観て観入ってしまい、薬缶を空焚きするというちょっと怖い事態に(イヤホンしてたのも半分は原因ですが。しかし、薬缶の音に全く気づかなかった……)。クライマックスのエクスタシー・オブ・ゴールド(モリコーネの傑作)がかかるシークエンスは本当に映画史に残る場面ですので、そこまで絶対観るのです。おじさんが墓地の中を駆け回るだけなのにどうしてこんなに感動するのか。映画の奇跡を、もし観てないのならぜひ。そしてそのまま、また最高にかっこいい決闘シーンになだれ込む。ベストオブベストの決闘シーンに刮目せよ!

 なんとなくですが、善玉、悪玉、卑劣漢、というのはトゥーコというセコイけど情に篤い人間と天使と悪魔の話なのかなーという気もしています。まあ、ブロンディが善玉というのはトゥーコの最後のセリフのように、突っこみたくはなるのですが、なんだかんだでブロンディはトゥーコの守護天使だったようにも思うのです。

 そして、この映画から、レオーネは時代という大きな枠とそこで奔走する人間たちという構図の中で映画を撮るようになっていきます。

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  原題『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウエスタンウェスト』。邦題は『ウエスタン』。レオーネによる歴史と人間の第二弾。まあ、これについてはこの前書いたので、それを読んでください。

kamiyamautou.hatenablog.com

  つい最近まであんま評判良くなかったし、マカロニファンは大失敗作とかマカロニじゃないとか、結構言ってたよーな気がするんですけどね。まあ、当時というよりは、タランティーノを代表するように影響を受けた後世の人間が増えたことで、ようやく正当な評価を得るようになったと言っていいのかもしれません。今ではレオーネの西部劇の最高傑作とも評され、実際その叙情性に満ちた雄大さはそれにふさわしいものがあります。

  原題は『伏せろクズども!』という感じらしいですが、邦題の『夕陽のギャングたち』が分かりやすいと言えば分かりやすい……かな。

 レオーネ最後の西部劇はマカロニの一大ジャンルであるメキシコ革命もの。まあ、そもそもメキシコ革命ものって西部劇なのか? という疑問はありますが、そこはそれ。

 山賊のファン(ロット・スタイガー)は革命闘士崩れにして爆弾使いであるジョン(ジェームズ・コバーン)と出会い、彼に半ばそそのかされる形で革命という大きな渦の中に知らず巻き込まれてゆくことになる。これは、時代に翻弄される何も知らなかった男の物語。

 これもすごい映画なんですよ。こちらは『ウエスタン』と違い、興行的にも失敗し、やはり多くのマカロニファンからは無視されてしまった作品ですが、貧しい何も知らなかった山賊の男が図らずも革命に巻き込まれ、革命とは何かを問い、自分とは何かを問われる。原題の「伏せろクズども」というのは、目を背けて知らないふりをしろという含意もあるわけで、そんな革命を巡る様々な人間の思惑や姿が描かれたこれまた重厚な映画となっています。これもきっと再評価されるでしょう。

 この映画、爆破シーンがすごくて、『続・夕陽のガンマン』でも橋を吹っ飛ばしてましたが(しかも結構大きな破片が役者のすぐそばをかすめる)、今作の石造りの橋を吹っ飛ばすシーンは、これまた映画史に残る美しい爆破シーンです。

 革命、そして自由を求めた男たちの友情の行方は――レオーネ渾身のクロースアップが、何もかもを失った男をそこに永遠に立ち尽くさせる。個人的にかなり印象に残るストップモーション映画だったりしますね。

 あと、かなりどうでもいいのですが、この映画のコバーン演じるジョン――私は彼でアニメ『白鯨伝説』に出てくるコバ爺さんという、同じように爆弾を使うキャラクターを思い出すのです。キャラクターボイスは吹き替えと同じ小林清志。コバ爺さんはキヨシという犬を連れていて、どちらも小林清志がネタだと言われているのですが、着こんだダスターコートに爆弾を仕込んでいたり、バイクに乗ったその類似した姿に、コバ爺さんのコバはこの映画のジェームズ・コバーンのコバなのでは、と密かに思い続けているのです。

*1:まあ、剽窃ともいう……どのみち源流はハメットの『血の収穫』ということで落ち着く。

*2:俗にサンダル映画と言われた