蒼ざめた犬

齧ったフィクション(物語)の記録。……恐らくは。

だだっ広い孤独:映画『荒野にて』

確かにわれわれ人間は弱く、病気にもかかり、醜く、堪え性のない生き物だ。だが、本当にそれだけの存在であるとしたら、われわれは何千年も前にこの地上から消えていただろう。    ――ジョン・スタインベック

 孤独の風景。そのイメージはどんなものだろうか。部屋の片隅や大都市の群衆の中――御手洗潔が東京タワーから見る明かり一つ一つに孤独な魂を見たように、それは人々が住む中にある――そんなどこか人工の風景に置かれた個人を思い浮かべるかもしれない。ある意味20世紀的な孤独だろうか。

 だが、孤独というものが人間一人一人にあるとするならば、彼がいる場所は関係がない。狭苦しい部屋や街を出れば孤独は癒されるだろうか。大自然はそれを受け止めてくれるだろうか。そんなことはなく、部屋の外、都市の外にはただただ、広々とした孤独が広がっている。

 行き場のなくなった少年と競走馬。どん詰まりの彼らが行くその荒野もまた、果てのない孤独そのものなのだ。こんなにも広いのに、どこにも居場所がない。そんな現実がどこまでもどこまでも広がってゆく中を、少年は歩いてゆく。

 

 あらすじ

  チャーリーは15歳の少年だ。そして、少しづつ父以外のものから切り離されてきた。母が去り、父と大喧嘩した叔母が去り、そして学校に行かなくなったことで友達とも会うことはなくなった。仕事を変えて転々とする父についてゆくことで、チャーリーはその父という細い糸でしか社会とつながっていられない。いつの間にか、そんな場所にチャーリーはいた。

 ある時、早朝の競馬場近くをランニングしていた彼は、タイヤ交換を手伝った縁で、車の主の競走馬を世話する仕事を始める。彼はそこでリー・オン・ピートという名の競走馬の担当をするようになる。オーナーのデルや女性騎手のボニーなどを通して、彼の日常は少しの広がりを得てゆく。

 しかし、それも長くは続かなかった。チャーリーを父親として愛してはいたが、自分の楽しみの方を優先してしまう父は、その不倫がついに相手の夫の知るところとなり、殴り飛ばされて大けがを負ってしまう。その際に突き破ったガラスが腸を傷つけ、それがもとで死んでしまう。唐突な父の死。

 そしてピートもまた、その競走馬としての命がつきかけていた。ボニーは競走馬を愛するなと諭す。レースに次ぐレースで足を痛め、これで勝てなければというレースでも惨敗し、ついにオーナーであるデルはピートを売り払うことに決める。メキシコ行き――それは殺処分を意味していた。

 わずかな幸福が少年の掌から零れ落ちてゆく。チャーリーはピートを乗せたトラックを盗み、わずかな、そして唯一のつながりとなった叔母であるマージ―が住んでいたワイオミングへと向かう。一人と一頭。持金は早々に尽き、トラックはやがてエンストし、彼らは荒野に分け入る。少年はピートに語り掛ける。本当は友達といたかった。彼らとフットボールがしたかった。でも、学校をやめてから会いに行くことはできなかった。今の自分を見られたくなかった。自分は大丈夫だと思ってもらいたかった。

 当り前だと思っていた日常から滑り落ちてしまった彼ら。そして、少年はあまりにも非力だった。

 二度目の別れは唐突に、無慈悲に、あっけなく訪れる。それでも、少年は歩き続けるしかない。かすかな記憶と希望を握りしめ、どこまでも広がる孤独の荒野を抜けることを祈って。

 

感想 ※ここから先はネタバレ前提で語る形となるのでそのつもりで

 

 この映画は道から始まる。コンクリートで舗装された道だ。人はそこを通ってゆく。コンクリートで舗装された道は、人が社会で生きていることを示している。少年はそこから滑り落ち、道なき荒野を歩くことになる。そしてそのどこまでも広がる荒野は、少年の孤独だ。

 少年は居場所を次々と失ってゆく。父と住む家、ピートの厩舎。荒野の先で世話になる親切な男たちの家もまた、少年がいるべき場所ではない。監督はこの物語を少年と馬ではなく、経済的な葛藤がある状況の中でもがいている人々の物語だと語る。

 アメリカの田舎の貧しい人々。そこはセーフティーネットが乏しく、零れ落ちた者を他の者が救い上げるのが難しい社会。父が傷つき、救急車を求める少年の叫びをぼんやりと見て、鈍い動きの隣人は、そういう今の社会を象徴しているような光景だ。

 社会から零れ落ち、そして誰かとの関係性が乏しくなっていくことが少年を孤独にする。彼は虐待を受けているわけでもなければ、いじめられているわけでもない。自ら望んで独りになったわけでもない。しかし、それでも独りになってしまうことがある。寄る辺なきものになってしまう。そうしようと思わなくても、道から外れてしまうことがある。そして、どこに行っても茫漠とした孤独が広がる場所へ放り出されてしまうのだ。

 少年たちの荒野の逃避行は、どんなに広々とした場所を征こうとも、開放感はなく、ただただ胸を締め付けられる。その征く姿を美しく撮られれば撮られるほど、彼らの孤独感が観る者に刻まれてゆく。

 最後に残ったあるか無きかの細い糸を手繰るようにして叔母のもとにたどり着いたチャーリーは言う。父やピートは溺れる者の様だった、だから助けたかったのだと。誰もが自分自身のことで精いっぱいな世界で、自身もおぼれながら、他者を助けようとした少年は、そこでようやく涙を流すことができた――岸にしがみつく子供のように、叔母にしがみついて。彼は自分のやりたいことを語る。学校に行き、フットボールがまたしたい――。

 チャーリーを取り巻く環境や人々は決していいものではなかった。父はふらふらした生活はやめなかったし、厩舎のオーナーや女性騎手は自分たちの利益を取ることを優先した。炊き出し先で出会ったホームレスは酒が入ると豹変し、金を奪った。チャーリーだって、車を盗んだし、万引きも食い逃げもした。金を奪ったホームレスを殴ったりもした。

 それでも父は真にチャーリーを愛していたし、デルやボニーは親切にしてくれた。ホームレスも身を案じて自分のキャンピングカーにチャーリーを招いた。そして、叔母はチャーリーを迎え入れてくれた。チャーリーもまた、父やピートのために働き、彼らを愛した。すべては彼を孤独にした。しかし、それでも彼を孤独のままにはしなかった。

 ラストシーンはコンクリートで舗装された道。チャーリーはそこを再び走ることができた。彼は振り返る。その表情は幸福感であふれたハッピーエンドではなく、これまでの現実を振り返り、それを見つめるようなものだ。彼の人生はまだ終わりではない。

 それを背に、これからも道は続いてゆくのだから。