蒼ざめた犬

齧ったフィクション(物語)の記録。……恐らくは。

ヒーローなんかじゃない:映画『タクシー運転手』

 ヒーローでも何でもない男がいる。彼は貧しいタクシー運転手で、家賃を滞納しつつ娘と一緒に暮らしている。その日を生きるために働いている、ごく普通の男だ。初めはただ、支払いのいい外国人を乗せる仕事を耳にし、それをかすめ取って一儲けしようとしただけだ。だが、それは彼を“戦場”に導くことになる。

あらすじ

 1980年。韓国では長く続いた軍事独裁政権が終わりを告げたかに見えたが、依然政権は軍が掌握し、民主化を求める学生たちのデモは全国に広がっていた。光州では20万人規模のデモが起き、軍はこれを暴力で鎮静化しようとし衝突は激化。光州市は軍に封鎖される事態となり、現地で何が起こっているのか分からなくなりつつあった。日本にいたドイツ人記者ユルゲン・ヒンツペーターは現地の様子を報道するため単身韓国に渡り厳戒下の光州に入ろうとする。そこに現れたのが、タクシー運転手のマンソプ。旨い話を聞きつけて、もともとチャーターしていたタクシー会社から仕事をかすめ取る形でユルゲンを光州に送り届けることになった彼は、サウジアラビアに出稼ぎに行った時のあやふやな英語で調子よくごまかしながら光州に向かう。変な外国人をソウルから光州に送り届けるだけの仕事――その程度だと思っていたマンソプだったが、光州に入って彼が見たものは、血だらけの人々とそれを追い立てる軍隊の姿だった。催涙弾が街を覆い、人々の悲鳴と炎が飛び散る。軍がそんなことをするはずがないとうろたえるマンソプの前で、市民と軍の衝突はいよいよ激しくなってゆく。それはまるで戦争の様だった。そして、やがてマンソプにもその「戦争」の火の粉が降りかかってくる。

 

感想

 学生デモなんてくだらない、高い金を親に払わせて大学に行ってすることか。おとなしくしていればこの国ほど幸せに暮らせる国はないのだ――マンソプそういうごく一般的な、政治に無関心な市民だ。彼の大切なことは目に見える範囲にある。彼は自分の感覚的な思いが及ぶ範囲でしか物事を見ようとしない。

 自分の暮らす国で起こっていることだが、興味も関心もなく割のいい破格の報酬目当てに光州へとタクシーを飛ばす。そんな彼が光州に入ることで、ようやく自分の国で起こっている事態に直面する。事実を目にしたマンソプだが、だからと言ってどうなるわけでもない。真っ先に考えるのは、自分の身の安全だ。私服軍人に追われ、殴られ、恐怖にかられた彼は、ユルゲンやそこで出会った人々に背を向け、一人光州から逃げだす。

 真実の中から外へ。彼は元居た場所へと戻ってきた。しかし、元の何も知らなかった自分には戻れない。外では、かつての自分と同じように何も知らない人たちが、政府の流した情報を信じ、迷惑なデモ隊が多数拘束された程度の「平穏」な日常が流れている……。食堂でふるまわれたおむすびを見つめるマンソプ。同じように光州でおむすびをくれた女性は、軍人に殴られ、血まみれで病院に運ばれていた。

 自分には娘がいて、自分の帰りを待っている。しかし……マンソプは自分が眼にした真実を見なかったふりをして娘と暮らすことはもはやできないのだ。自分の生活を守ることでいっぱいで、ずるい所もあり、小心な男は葛藤の末、ついに光州へと引き返す。ユルゲンを、彼がカメラに収めた真実を、光州の人々の願いを、政府によってその目を覆い隠された人々へ届けるために。

 この映画は事実に基づいた映画でありながら、実際に光州での事件を写真に収めた記者を主役にしてはいない(一応もう一人の主役ではあるが)。あくまでメインに据えたのは実際の、ユルゲン氏を送り届けた人物とは違う、あくまで小市民的な造形としたごく普通の男。彼は別に正義感やジャーナリスティックな真実への興味など持ち合わせてはいない。ただ、そこに居ただけだ。しかし、そこに居てしまったことが彼を決心させる。真実を伝えてほしい。そう願い、軍に立ち向かう人々。それはごく普通の人々が戦う姿だ。マンソプもまた、そんな人々の中の一人として、そしてタクシー運転手として自分にできることをしようと決心する。

 そこに居る人たちが、自分たちの仕事の延長で立ち向かっている。それを象徴するのが、タクシーの運転手たちで、彼らは自らのタクシーを駆り、軍に立ち向かっていく。そこは手に汗、目に涙の素晴らしい場面だ。彼らは別にヒーロー然としているわけではない。どこにでもいそうな普通のおじさんたちなのだ。そんな人々が自分たちにできる精いっぱいで立ち向かってゆく。そこにはなんのスーパーパワーもない。しかし、だからこそ私には、スーパーヒーローの映画以上に感じ入ることができた。

 卑小な小市民が、自分の見える範囲の外にも生きる人々を認め、自身の目にした真実から逃げない。これはそんな映画だ。彼はヒーローなんかじゃない。しかし、だからこそ自分にできることをする彼の姿は、ヒーローであること以上に尊いのだ。