蒼ざめた犬

齧ったフィクション(物語)の記録。……恐らくは。

詩野うら『有害無罪玩具』

 

有害無罪玩具 (ビームコミックス)

有害無罪玩具 (ビームコミックス)

 

 

 これは、著者が2016年からWebに公開していた長編漫画のうち、表題作を含めた三本と最後の書下ろしである『盆に覆水 盆に返らず』を加えた全4本の作品からなる初の作品集である。知っている人は知っている漫画家ではあったが、こういう風に本が出て、Webにはこういう才能がたくさん潜んでいて、その異能者たちの一端に多くの人が触れる機会が増えることは喜ばしい。ぜひ多くの人に手に取ってもらいたい。

 なんというか、メジャーどころの作風ではなく、一風変わったスタイルで描かれる風変わりな感触の物語たち。それらは、一般的な意味でのワクワク感やキャラクターを追うことで得られる快楽を与えてはくれないかもしれないが、認識や時間、永遠について、著者の内宇宙を覗くような感じで触れることができる。その感触はやがて、読む者の内宇宙へと伝わって、ぐるぐると作品が読者の中で回遊し続けるだろう。一読してよく分からないかもしれない。それでもいい。一息にわかろうとするのではなく、徐々に取り込んでいけば何か見えてくるかもしれない。これらはそんな作品たちだ。

 基本的には一つのテーマを追求することでそれぞれの作品は成り立っている。第一作目にして表題作の「有害無罪玩具」は、私という認識についての話だ。

 舞台はとある博物館。明確な理由はないが、なぜか販売を停止するべきとなった物を対象として収集している博物館。主人公は社会科見学の一環で割り振られたその博物館で、そんな収集品を案内される。それらの品は、人間の認識、主に「私とはなにか」という意識に揺さぶりをかけてくる。「私」というものをかたどっているものとは何なのか、紹介される玩具は、そんな「私」というものが実はぽっかりとあいた空洞なのではないか、という疑問をまざまざと見せつける。そんなどこかアブナイ認識の迷宮にこの作品は読者を誘い出す。この作品を通して、果たして読者は世界をどのように見るのか。それは、この作品の主人公のようにそう簡単には答えが出せないだろう。

 続いて、虚数時間の遊び」。これは、自分以外の時間が止まった世界に取り残された人物の話だ。どれだけ止まっていたのかも分からない。そもそも自分以外が止まっている世界で、どれだけ時間がたったなどという問いが意味のあるものなのか分からない。とにかくそういう状況に置かれた人間とはどういったものか、ということをひたすら描くのがこの作品だ。別人格の自分を作り出して会話したり、身投げ中の女の人や捨てられた赤ちゃんを拾ってきて、家族ごっこをしたり、消火器の安全ピンをひたすら抜き集めたり、自分が投射した物体が一定距離で停止するのを利用し、ゴミをひたすら投射して星を作ったり。そういった時間が停止した世界で行われるものは、ひとえに干渉しえないその自分以外の“世界”に対し、干渉を試みる、つまり世界へのかかわりを取り戻したいという欲求に他ならない。著者はそれをあからさまには描かず、主人公は飄々としたまましかし、延々と繰り返すその世界への干渉の試みがどこか哀切な感情を喚起させる。そして、最後、主人公は自分の記憶のかけらと出会うのだが、そんなことはもう、忘れてしまっているのだ。そんな主人公の記憶の哀愁を“水だけが宙を走っている”という表現で見せる。

 そして「金魚の人形は人魚の金魚」。これは、ただあるだけの存在が、永遠にあるのだとしたら? という世界を描き出す。金魚の人魚。それは空中を浮遊する人魚の姿をした金魚だ。不死であり、人の姿をしているが知性はなく、自身が行うのはただ習性として飼い主らしき人の周りを回遊し、ときおり金魚のように小石を口に入れたは吐き出す、ただそれだけだ。しかし、その人魚――人型――のような外見が、それを見る人間には意味があるように感じてしまう。その存在自体には徹底して意味がないのに、人はそれが人の顔をしているというだけで、そこに意味を見出す。空虚だからこそ、そこに意味を満たそうとする。そんな人型であるから意味を感じてしまうというのは、長谷敏司の『BEATLESS』におけるアナログハックと同じテーマを扱っている。ただ、この作品は、その概念が徹底して浮遊しているだけだ。どんなに時間が経とうとただ、普遍の存在の周りが目まぐるしく変化してゆく。それが人や環境――地球から、やがて宇宙とスケールアップしてゆき、そこをただ、金魚の人魚は泳いでゆく。金魚の人魚は人魚の金魚――循環しつづけるその、永遠を描いた作品。あとにはそんな存在の残り香が、読者の鼻先をかすめるかもしれない。ちなみにこの作品、Webに公開していた10本の長編の最終作に当たり、それまでの作品のキャラクターがところどころ登場する。前二作のキャラクターも登場しているので、オールスターの楽しみもある。ある意味、その時点での作者の宇宙と言えるかもしれない。

 最後の「盆に覆水 盆に返らず」。こちらはコミックス描き下ろし。死者の死に水――死の際に口に含ませた水? 説明しづらいのでここは漫画を見てほしい――を死者が死んだ場所で水に垂らす。そうすることでお盆に死者が、水に姿を借りて帰ってくる。死者の姿はあくまで水なので、何か言葉を話すわけでもなく、しかし、口をパクパクさせる姿や人や物に干渉しようとするその行動で、意思があるように感じられる。主人公もまた、そんなふうにしてお盆に自分のかつてのパートナーと再会を行っていた。そして、日本人初の時間飛行士に選ばれた彼女は、1000年後の未来で同じようにしてここで会おう――もしいいのなら、待っていてほしいと約束を交わす。1000年後の結果を見た私は戻ってきて、あなたにやっぱり待たなくていい、というのかもしれないし、そんな過去でありながら未来に私の行動を決めるのは、どの時点の私なのか、そもそもあまのじゃくなあなたはそれに素直に従うだろうか――。そんな、時間とロジックの先にある、二人の再会する瞬間を描く。この作品集の中で一番エモーショナルな作品だ。その時間旅行が生み出す世界の光景を音楽として表現するのもすごく印象に残る作品である。

 とにかく、一読してすぐにすっと入ってくるわけではないかもしれないが、どれもがそのどこか心に引っかかるトゲのようなものを持った物語たちだ。気の向いたときに、のんびりと読みふけるといいと思う。そして、こんな世界があるんだなあ、と思いをはせてみるのもいいのではないだろうか。