蒼ざめた犬

齧ったフィクション(物語)の記録。……恐らくは。

幻想は地べたを這いずり始まりを目指す 映画『ガルム・ウォーズ』

 久しぶりに観たんで。あ、一応ネタバレで語るので注意です。

 『ガルム戦記』――プロジェクト『G.R.M』。押井ファン、特に長年のファンには思い入れがあるタイトルだろう。そのパイロットフィルムを見て、日本がハリウッドを凌駕するSF超大作を世界に問う「幻想」を見た人もいただろう。そして文字通りそれが幻想と化し、2000年の公開予定から15年を経てついに公開されたのがこの『ガルム・ウォーズ』である。

 すでにかつて製作総指揮を執るはずだったキャメロンの超大作CG映画『アバター』が世界を席巻した後であり、押井自身、ガルム戦記の「機能限定版」として『アヴァロン』を撮り、クローンが繰り返し生まれ変わって戦い続ける『スカイ・クロラ』など、テーマや要素を抽出してきたわけだし、いわば抜け殻となった『ガルム戦記』を『ガルム・ウォーズ』として完成させることの意味はどこにあるのか? ある種の落とし前――そうかもしれない。ただ、それでもこの映画は失墜した幻想を次へとつなげようとそのカタチだけでも残そうとした。多分、それだけでも意味があることなのだ。

 あと、相変わらずというか、押井映画の常だが、評価が固まるまで時間がかかる。この作品も、その影響を受けたクリエイターがきっと出てくるだろうが、それまで時間がかかるだろう。この映画に対する品のない罵詈雑言については、特に何も言いたくはないが、ただ、映画の受容の仕方はさまざまだ。お金を払った分、口を開けておいしものを入れてくれるのを当然とするという観方を否定はしないが、そういうことをわざわざしてくれない映画というのも存在する。それだけのことだ。

 しかし、これだけのビジョンを実際にフィルムに定着できる、つまりSF映画を描ける監督が日本に今どれだけいるというのか。異論は出るかもしれないが、あえて言うと押井がはからずしも最後の“SF映画作家”となりつつあるなか、それを正当に評価しようという人間はこの国にはあまりいない。この国が捨てた幻想は、多分海の向こうの誰かが拾うだろう。……それでいいのかもしれない。

 まあ、愚痴はここまでで、感想に行こう。

 まずこれ、言われてるほどそんなに難解な話だろうか。最後の方は少しわかりにくい所はあるかもしれない。しかし、前提は創造主が去った惑星でそれぞれの役割を持つガルムという8つの種族が覇権をかけて争い、最終的にブルガとコルンバの二大部族の決戦に至っている、というファンタジーとかではよく聞く話なのではないだろうか。そして奇しくもブルガ、コルンバ、そしてブルガに隷属することで生き延びているクムタク、死に絶えたはずのドルイドという、それぞれの部族の四人が集まり、ドルイドの聖地を目指す。自分たちはなぜ生まれたのか、そして自分たちの未来とは何かを求めて。

 ところで、多部族間の争い、それがやがて二大部族の最終決戦間近となっている舞台設定、いにしえの巨大な力、巨人、という諸要素について、私自身すごく良く似た話を思い出した。吉橋 通夫著『巨人の国へ』(1987年出版)という児童書だ。こちらもとぶ砂の国、もえる山の国、きらめく川の国……という風に七つほどの国が争い、残るは砂と山の国の戦になり、お互いの国はその最後の戦いに備え、巨人たちの国にあるとされるヒバシリという古代の武器を求める。主人公は幼いころから人を殺すためだけに訓練されてきた兵士であり、戦いの中で仲間とはぐれた主人公は、滅ぼされた川の国の娘、巨人の子供たちと行動を共にする。ヒバシリを求める旅の中、主人公は戦い続ける自己について、疑問を覚えるようになる……という感じでナウシカシュナの旅以上に結構似てる。

 興味があれば、読んでみるのもいいかもしれない。

巨人の国へ (現代の創作児童文学)

巨人の国へ (現代の創作児童文学)

 

  まあ、ある意味物語の一つの類型ともいえる。聞きなれない種族名に気を取られたりするから混乱するのであって、物語の大枠は古来のファンタジーに聖書的な意味合いを盛り込んだ異星のハルマゲドン、というきわめてシンプルな話だ。用語はたいして複雑ではない。

 この作品、自分がまずびっくりしたのは自然を舞台にしていること。押井監督の作品でここまで自然を中心にした舞台ってなかったはず。自然と文明(人)を対置させる宮崎駿と対照的に、押井守は都市、文明の中の人間を描いてきた。都市の点描をしつこく描いてきた押井が、今回は荒地や海、そして森といった自然の風景を点描していくのだ。ここにきて自然が登場することの意味とは何か。

 一方で登場人物たちはすべてクローン、作り物だ。死ぬと彼らは記憶を更新し、肉体を再生する。更新した回数、つまり再生した回数が名前の後ろにつく。カラ23、という風に。そして、ガルムと呼ばれる彼らは戦い続けることを運命づけられた――プログラムされた存在。そんななか、それとは違う存在としてグラという生きものがいる。押井映画のいつものバセットハウンドの姿をしているそれはクローンを禁じられていて、すぐ死んでしまう存在であり、それに触れられることが祝福を受けるということになるらしい。グラというものはある意味、人工であるガルムに対する「自然」ということなのか。

 グラに祝福された主人公カラは自己の記憶、その最初の記憶を意識することで、自分とは何かということを考え始めてゆく。私とは何か、ガルムとは何か、なぜ我々は争わなくてはならない? その疑問への解を求め失われし種族ドルイドの聖地ドゥアル・グルンドに赴くカラ。

 しかし、結局のところ彼女を待ち受けていたのは、彼女たちの行動が新たな戦いの口火を切ってしまったという皮肉な結末に過ぎなかった。ドルイドはただの外殻でしかなく、それを通して遺跡に接続した“神”はこの星のガルムを滅ぼすべく、巨人たちを起動し最終戦争を仕掛ける。なんというか、これまで、都市や文明という卵の中で永遠とループしたり、『アヴァロン』のように仮想現実が玉ねぎの皮のようにどこまで行っても積み重なっているといった作品が押井守の通底したテーマだった。ガルムはなにも作り出さず、あるものをただ維持するだけ。停滞していた時間。常にすべては予感としてあるのみ。それは、永遠に繰り返す学園祭前夜*1と同義だ。そこについに終わりの始まりがくる。押井作品で初めて終りを示唆された作品が、この『ガルム・ウォーズ』といっていいだろう。

 とはいえ、結局のところ、神がガルムを滅ぼすのは隣の星でもう一度似たようなことをやろうとするためで、作中で示される「嫉妬の神」による、その創造と破壊のサイクルのあくまで枠内である、という風に考えるとするなら、やはりこれもまた、壮大なループにすぎないのかもしれない。しかし、たとえそうだとしてもひとつの時代が終わり、新たな時代の始まりであることは確かなのだ。たとえその先が終りであったとしても。

 ガルムは創造主たちの被造物にすぎない。ではグラは、そして映し出されていた風景は自然なのだろうか。創造主はガルムはおろかすべてを造り、名を与えた。では、グラや荒れ地や海、森もまた被造物である「自然」に過ぎないのではないか。それらとガルムにどんな違いがあるというのか。押井作品にこれまで見られない「自然」の風景は、やはりただの自然の風景とは違った意味を持っているように感じられる。すべてが被造物ならば、クローンであるとかないとかが、いったいどのような意味を持つのか。

 注目してほしいのは、恐らく初めて自然の中に放り出されたカラが、それについて特に感動したりはしないことだ。ありがちな演出としては、そういう人工側のクローンが自然に感動したりしてそこに対立項や優劣みたいなのを無邪気に生み出してしまうが、この映画ではそんなことはしない。全てを作った者から見れば、自然も不自然もありはしない。どちらにも特権性など存在しない。そして、どちらもいらなくなれば神は平等に一掃する。

 押井守宮崎駿みたいにそれでも生きるとか、血を吐きながら明日を越えて飛ぶ鳥だ、とかは言ってはくれない。ただただ、そうでしかなかった世界の終わりの始まりを描き、映画は終わる。

 始まりがあるから、終りがある。終りがあるから、始まりがある。この映画は、いや、このG.R.Mという企画そのものがずっと凍結され停滞してきた。このまま宙ぶらりんにすることで、それを夢見た者たちが永遠にその幻想に微睡むことだってできたはずなのだ。しかし、押井監督はこれを映画として作り上げることでついにその幻想を終わらせた。膨らみすぎた幻想はやろうとしていたことの半分もできずに失墜した。壮大なCGの空中艦隊戦の冒頭から文字通り地に墜ちた主人公たちがその大半を地べたを歩き回るこの映画はどこか示唆的だ(一応、パイロットフィルム通りのプロットではあるのだが)。

 しかし、失墜したからこそ幻想を受け渡せることができる。作品として作り出されることで、G.R.Mという幻想は終わった。しかしこの作品が掬い取ったそれはきっと誰かが受け取り、新たな幻想を紡ぐはずだ。そんな新たな“始まり”を夢見て、この文章を終えようと思う。

 それはそうと、ここまで美しい感じのSFってあんまないよなー、と思うんですけどね。プロットは後半ちょっと急ぎすぎてたり、スケリグを殺すために行動が不自然(ケーブル狙えっていってただろ)になってたり、監督にしては雑なところがあったりするんですが、この独特の雰囲気を持つ美しいSFって、割と貴重なんじゃないかなーと思ったりしてますね。まあ、これも『アヴァロン』や『スカイ・クロラ』みたく十年すれば、好きな人とかフォロワーによる再評価がなされるんじゃないかと期待してます。

  あ、あと最後に。あのラストのカットは何なんですか、「巨神兵東京に現る」まんまじゃないですか。某監督への当てつけか。90年代の亡霊みたいで超恥ずかしかったあの映像を、撮るならこうしろ! と言わんばかりにモノローグ含めてバシッと叩きつける感じは、個人的には嫌いじゃないですが。

ガルム・ウォーズ Blu-ray豪華版
 

 

*1:もちろんビューティフルドリーマーのことだ