蒼ざめた犬

齧ったフィクション(物語)の記録。……恐らくは。

 小学生の時だ。友人と合作で漫画を描き始めた時期がある。私としては本来小説を合作するつもりで誘ったのだが、うまく伝わらなかったのか、友人は勘違いしたか漫画を描こうぜ、ということになった。ノートというか、白い横長の雑記帳に何列かの線を引いたコマ割りに、アドリブで絵を描き、セリフを入れ、それを交互にしていくことで物語らしきものを行き当たりばったりで作っていったのだ。

 小説を書こうと誘ったわけで、私自身は絵なんか描けなかった。対して友人は漫画をたくさん持っていて、私なんかよりずっと絵が上手かった。その代わり、私は話を作るのが得意だった……としたら、もう少しこの“共作”は続いたかもしれない。しかし、話を作るのも友人の方が巧い、というかメインになるアイディアは友人で、私はテキトーな補足というか、余計なセリフの追加とか、展開の引き延ばしみたいなことしかできなかった。当然、このはるか昔の「バクマン」はあっさりと終わりを告げた――それぞれで描こうぜ、という風に。

 結局一人で白い紙を前に私は何もできず、友人の漫画をチラ見して似たような冒頭を描いて、友人は私に漫画を見せようとしなくなった。

 まあ、今は昔のこれは前振りだ。その時のなんとなく印象に残っている友人の漫画の冒頭が、これから書こうとすることに繋がっている……ような気がする、というだけだ。その冒頭は、パンパかぱーん、と新世紀を祝っている人々の前に敵が襲来するという、まあ、他愛もないといえば他愛もない冒頭。しかしそれが今も印象に残っているのは、私が新世紀を迎え、その後の世界を見たからだ。もしかすると友人はその新世紀の気分をとらえていたのかもしれない……なんていうのは私の後付けの理屈なのかもしれないが。

 世紀末、という気分を私はその時期に思春期をすごしながらも、少し年上の人たちがにめり込んでいたような終末的なものとして浸れなかった。そして、この世の終わり、終りへと向かうフィクションに浸ることができなかった。

 世紀末で終わりを迎えることなく、新世紀を迎え、新たな戦いが始まる。もしかしたら、友人のその漫画の冒頭は、私の当時の世紀末にノれない気分をさりげなく代弁していたのかもしれない。まあ、先に書いたように後付けと言えば後付けな話ではある。しかし、時間がたつごとに、その時見た漫画の冒頭が印象深くなっているのも確かだ。

 他愛もないが何故か忘れがたいものと化している、そんな話。

 そして、友人の漫画の、新世紀とともに始まった戦いの続きは分からずじまいだ。