蒼ざめた犬

齧ったフィクション(物語)の記録。……恐らくは。

 「百合」って言葉、別に好きでも嫌いでもないんだけど、それを気嫌いする気分というのはまあ、分からないでもないというか。

 なんだろう、人物の関係って、その人物たちごとにあって、そこにはある意味、名づけようのない関係性がそれぞれあるわけで、一様ではない。そこへ何でもかんでも「百合」という一言ですまされては、それらがその「百合」という言葉にベタっと塗りつぶされてしまう。その、繊細さのかけらもない野暮ったさというか、無遠慮さに対するいら立ち、と言いましょうか。さらにいえば、作品そのものが持つ多様な味わいが強い言葉で塗りつぶされてしまうこと(それを言うと、百合以外のジャンルを指定する言葉もそうではあるが)。これはまあ、「BL」という言葉にも言えるだろうけど。

 まあ、作品を他者と共有するうえでそういった繋がるための言葉が必要なのもわかるし、そういうので大きな共感の輪を広げた方が、作品を共通意識の下で盛り上げるためには必要なことだろう。その言葉が作品の入り口になるのなら、それもアリだ。

 でも、大きな言葉を大勢が振り回すとき、それはどこか乱暴なにおいを放つ。その乱暴なにおいで、それぞれの微細なニュアンスが塗りつぶされてしまう。私が思うのは作品に触れる個々人が、その大きな言葉の下敷きになっている、それぞれの「百合」を拾い上げられてたらいいな、ということ。

 「百合」という言葉は「ミステリ」や「SF」というジャンルの言葉とそう変わらないとは思うのだが、どこか乱暴なにおいがするのは、畢竟、キャラクターの関係性に貼り付けられるからかもしれない。キャラクターの関係性――それを尊いといいつつ、一様な言葉で括る乱暴さ、無遠慮さが、どこか嫌なにおいとして私には感じられる時がある、というところだろうか。

 まあ、フィクションなんだし、好きに消費すれば、とも思うけど。