蒼ざめた犬

齧ったフィクション(物語)の記録。……恐らくは。

狂ったケモノが見通す視線 映画『狂った野獣』

 町山智博氏と春日太一氏が語る東映時代のエピソードの中で、渡瀬恒彦最強伝説という話があり、、その伝説の一つとして挙げられて、ずっと観たかった映画。ようやく、見つけてきて鑑賞しました。いやー、なかなかすごかったです。

 渡瀬恒彦っていうと、私は十津川警部くらいしかイメージがなくて、そんなにすごいアクションしてるの? みたいな感じで観てたわけですが、サラッととんでもないことしててびっくりですよ。あと、本作はあまり予算がなく、突貫で作られたらしいんですが、編集の巧さか、かなりの車がクラッシュし、バスがバイクをひき潰し、鶏小屋やら小さな小屋やらを吹っ飛ばしたりと派手派手な画面が出来上がっています。

 脚本もテンポよく、バスジャック犯と渡瀬演じる宝石泥棒がバッティングして、やがて渡瀬に主導権が移る構成や、何より狂った野獣なんていうタイトルからすると恐ろしいくらい冷めた視線が視聴者を見つめてくる。そんな油断ならない映画でした。ただのバイオレンスアクションくらいに思っていたので、少しびっくりしましたね。

 この映画のアクション部分はすごいのですが、それはあくまで装飾で、それを纏う芯の部分がきちんとしています。その芯の部分がハイジャックされるバス内の描写です。ここをきちっと序盤から中盤まで描き、それによってラストの大アクション、そして皮肉な結末が生きる。渡瀬恒彦のむちゃぶりアクションで語られることが多い本作ですが、実のところこの映画の秀逸な部分は、バスの乗客たちの描き方といっていいのではないかと思います。

 あっという間に銀行強盗犯たちに乗っ取られ、映画『スピード』的な凶悪犯と戦う主人公と頑張る乗客たち、というある意味ハリウッド的な定型を思い浮かべたのもつかの間、それとはほとんど真逆に進んでいきます。主役は犯罪者だし、乗客たちは映画『ある戦慄』に近い形でパニックに陥り、好き勝手行動していきます。しかし雰囲気が『ある戦慄』と違うのは、その好き勝手ぶりが妙なおかしみを醸し出しているところ。意図的に入れている笑いだと思うのですが、おもむろにバナナを食べだす老人や、急に真面目な顔で歌いだす旅芸人たちと、冗談なのか何なのかよくわからない絵面が何とも言えない笑いを誘います。その何とも言えない地獄の中での笑いも、この映画の面白い部分といえます。ほんと、結構笑ってしまいました。

 そういう狂った空間の中で好き勝手言い合い、乗客同士で罵り合い、決して連帯することがない乗客たちがついに最後で連帯する瞬間が訪れます。しかし、その連帯する姿が観客にとってのカタルシスとなることはないのです。それどころか、エゴイズムで連帯する小市民的醜さを目の当たりにすることとなる。その、大衆を見つめる視線はかなり冷めていますが、今日的というか、この映画から何十年たっても変わらない大衆の姿がそこにはあるのです。七人の侍の農民イズムというか、戦後のクリエイターたちが批判的に見つめていた大衆の一面。それは今でも時を超え、観る者を鋭く見つめてきます。

 そういう意味で、この作品は渡瀬恒彦の伝説として語られがちな映画ではありますが、その批評的な視線もまた、語られるに値すると思ったのでした。