蒼ざめた犬

齧ったフィクション(物語)の記録。……恐らくは。

ドニ―・アイカ―『死に山』

 

死に山: 世界一不気味な遭難事故《ディアトロフ峠事件》の真相

死に山: 世界一不気味な遭難事故《ディアトロフ峠事件》の真相

 

  この本でディアトロフ峠事件という遭難事故を初めて知った。

 1959年、冷戦下のソ連ウラル山脈でその遭難事件は起きた。ウラル工科大学生が主なその登山チーム9名は、テントから一キロ半ほども離れた場所で死体となって発見された。遭難者たちは氷点下の中ろくに衣服を身に着けておらず、全員が靴を履いていない。うち三人は頭蓋骨折、そして女性メンバーの一人は舌を喪失していた。おまけに遺体の着衣からは異様な濃度の放射線が検出されたのだった。

 そのあまりにも不可解で異様な遭難者たちの最後は、様々な憶測を呼ぶが、最終的に「未知の不可抗力による死亡」という結論が下される。目撃者もなく、半世紀以上も広範な捜査が行われたが、いまだにこの悲劇に説明はついていない。全滅したトレッキング隊のリーダーの名前を取り、彼らが遭難した周辺はディアトロフ峠とよばれ、事件の総称もそこから来ている。

 そんな世紀の怪奇事件にアメリカ人ドキュメンタリー映画作家が挑む。

 こんな奇妙な事件があったとは。正にミステリーである。まあ、なんというかムー的な香りがするというか。もちろんそんな謎の蜜に多くの人間が引き寄せられ、様々な説が唱えられた。雪崩や吹雪といった常識的なものから脱獄囚の襲撃、放射性廃棄物による死、衝撃波、または爆発によるショック死などから、果てはUFO、宇宙人、凶暴な熊などなど。冷戦下のソ連ということもあって、政府による陰謀論なども出てくる始末。しかし、どれも決定的な解決には結びついていない。

 もう60年近くの事件なのだ。関係者だって年老いている。いまさら新しい情報が出てくることが期待できるわけでもない。それを全然関係のないアメリカ人のドキュメンタリー映画作家が調べる――今さらいったい何のために?

 著者自身もそんなことを自問しつつ、始めは明らかに異様な事件に対する好奇心から事件に足を踏み入れていく。この作品は事件の真実を求めつつ、ある意味その理由を探す記録でもある。とはいえ、決していい加減な形で世紀の怪事件を面白おかしく取り上げようとするドキュメンタリーではない。著者はかなり誠実に事件に向き合っていく。

 著者の調査は実に丹念だ。当時の状況――トレッキングメンバーの人となりから、遭難現場までの行程、事件発覚と死体発見、そしてその後の捜査までの様子を資料や証言、当時の記録から出来るだけ詳しく再現してゆく。それは奇怪な事件を探る、というよりも、事件に遭遇したまだ大学生がほとんどだった遭難者たちがどのような人物たちだったのか、という所にきちんと筆が費やされている。彼らは実際にその時代に生きていたごく普通の大学生であり、家族や友人がいて将来を夢見ていた。

 そのように被害者たちをきちんと浮かび上がらせてゆく。そんな彼らが何故死ななくてはならなかったのか――だから、これは追悼の書なのだ。何の縁もゆかりもない外国人がしかし、いつしか彼らの存在を身近に感じつつ、彼らに「謎の事件」の被害者ではなく、きちんとした死の真相を明らかにすることで謎から解放すること。その意味で、このドキュメンタリーは探偵小説的でもある。“謎の死”を詳細な証拠をもとに“推理”し、個人が遭遇した不幸な事件として解体すること。

 実際、ホームズを引用し、著者が真相に突き当る過程は消去法である。これまでのあらゆる説を検証し、そのうちにとある現象の可能性に思い当たる。探偵小説ではないので、劇的ではないのだが、それによって導き出される答えはある意味恐ろしい偶然で、まさに遭難者たちには不幸としか言いようがないものだった。それは現地の言葉で、その名の通り“死の山”がもたらした死への誘いだったのだ。

 歯ごたえのある、死者たちを想うきちんとしたドキュメンタリーとなっていて、おススメの一冊である。