蒼ざめた犬

齧ったフィクション(物語)の記録。……恐らくは。

クラシック、そしてポップ 映画『アトミック・ブロンド』

 

 これはかなり好みのスパイ映画。伊藤計劃氏が観たらかなり喜んでたんじゃないか、そんな感じがする。

 スパイ映画というと、大きく二つにテイストが分かれ、一つが007に代表される、派手なアクションや、ビックリメカの数々で展開される、ヒーロースパイものの系譜。そしてもう一つが、そういった派手で分かりやすい要素を廃し、人的情報――ヒューミント中心に描かれる騙し騙されの諜報合戦がメインとなるリアルスパイものの系譜。前者はくっきりと分かりやすい面白さが顕著な反面、スパイ本来の隠密性や諜報性に欠け、後者は地味で分かりにくく、エンタメ的な分かりやすい面白さに欠ける。

 本作はある意味、その二つの系譜のいいとこどりを狙った作品と言えなくもない。ただ、テイストとしては、『スカイ・フォール』のように007タイプがリアルに寄った作品というより、リアルタイプがヒーローアクション寄りになった感じに近い。なので結構、諜報員同士の関係性が複雑に入り組んでいて、ぱっと見把握しづらいところがあるかもしれない。そしてそのアクションはリアル寄りの重たく、痛いアクションである。しかし、本作の特筆すべき点はまずその重く、痛みを伴うアクションにある。

 主演シャーリーズ・セロン演じる女スパイは冒頭、氷を入れた水槽から上がるのだが、全身傷や打ち身だらけで、顔面も大きな痣でおおわれている。物語はそこから過去にさかのぼる。いかにして彼女はそのような凄惨な傷を負うことになったか。この映画は、彼女の傷の記録だ。ちなみにこの浴槽から目覚めるように彼女が上がるシーン、浴槽の向こう、広いガラス窓に臨むビッグ・ベンとその下に広がるロンドンの町を収めた構図はどことなく、映画『ゴースト・イン・ザ・シェル 攻殻機動隊』(アニメ)の冒頭における素子の部屋の構図に似ている。これは恐らく意図して似せたような気もする。

 予告ではシャーリーズ・セロンのスタイリッシュなアクションを売りにしたような感じに見えるかもしれないが、実際のところそのアクションはかなり泥臭い。昨今のヒーローアクション的な、キビキビして一発当てれば綺麗に敵が吹っ飛んでそれっきりというものとは程遠い。人間はそう簡単に倒れないのだ。殴られても立ち上がり、刺されてもコロッと死んだりはしない。互いは相手を必死に殺そうとし、そのために殴り、ナイフを振る。武器を失い、ガンガンお互いを殴って、しまいにはそのへんに落ちてる物を投げつけたりそれで殴ったり。最後は両者ダメージでフラフラとなる。肉体と肉体がぶつかり合う、まさに殺し合いだ。それがこの、アトミック・ブロンドに選択されたアクションといえる。そしてその選択が、リアルスパイ路線に馴染みつつ、その範囲内と延長線上でシャーリーズ・セロンの鋭く、時に派手な動きを印象深く見せてくれる。それが、リアルスパイものではあまり見られないエージェント同士の戦闘シーンとして印象的なものを提供している。

 とはいえ、実のところ、アクション以上にこの映画の特質は、その画面構成によって生れているといってよい。舞台はベルリンの壁崩壊直前の東ドイツ。全体的に白黒調のモノトーンで統一されつつ、時折そこにネオンの光や場所や説明字幕を入れる際のパステルカラーのスプレーを吹く演出が足されることで、ポップさとスタイリッシュさを同居させている。クラシックなスパイの陰影の中にポップな光が躍る。その画面構成がこの作品を特徴的に形作り、唯一無二のスパイ映画としているといっても過言ではない。赤と青の光や赤い服が、灰色の景色に沈んでいきそうなスパイたちを所々で浮かび上がらせる。その色の使い方がスパイの孤独や哀しみを表現していたりしていて、静謐で厳粛な、しかし鮮烈な絵の印象を観る者に与える映画なのだ。